2019年8月11日 塩山宗満
申命記 5章6-7、17節
「殺してはならない。(5:17)」は、あなたは殺してはならない、と訳すべきで、自分のこととして“あなた”に語られています。聖書で、主なる神が殺人を戒めるのは、呼びかけておられる神が生命を創造したもう神だからなのです。神が創造された生命を奪うことは、自分が主となり、神のように振舞うことで、大きな罪なのです。
愛なる神から命を与えられて、この世に送り出された人間は、互いに傷つけたり、殺したり、苦しめたりするのではなく、むしろ助け励まし合うべきなのです。
そして、その命を大事にするということは、単にからだを守るだけではなく、一人一人の人格も大事にすることです。すべての生命は、神がお造りになりました、という同じ理由から、他人の命を大事にする人は、同時に自分の命も大事にします。
わたしたちは8月になると広島、長崎のことを思い、日本の各地にたいして行われた空襲のことを思い、二度と戦争をしない国になろうと願ってきました。バプテストの広島教会の皆さんが教会員から聞き書きして、13年前に出版した小冊子「語り継ぐ-わたしの被爆体験」を読み返してみました。生々しくて、読み通すのがつらくなります。今の世が核兵器を捨てるどころか、また開発競争に走っているのに恐怖を覚えます。
そのような被害を受けた一方で日本が世界のいろいろな国に与えた傷も忘れてはなりません。わたしたちが戦争の加害者にも被害者にもならないように、世の動きを見守っていかなければならないと心から思わされました。「殺してはならない。」との聖書の言葉をしっかり身につけて歩んでいきたいと願います。