2020年1月19日 関田寛雄
ヨハネによる福音書 1章14-16節 (新約 163ページ)
聖書によると神は「言」によって世界を創造されました。それは「光あれ」という命令の言葉で始まりました。全てのものはこの神の意志によって「生かされている」のです。この生命は神によって造られたのであって、何ものもこの生命を傷つけたり犯したりしてはなりません。
その命の言がナザレのイエス様と言う「肉体」となっておいでになりました。イエス様の生涯の目的は私たちに「生きよ」と呼びかけ、招くことでありました。それ故イエス様に聴き従うということは、「生きること」です。更にはお互いに「生かしあうこと」です。私たちの人生には「生きづらいこと」が多々あります。どんなにつらいことがあっても、イエス様を信じることは「生きること」であり、イエス様が必ず生かしてくださるのです。
その生涯は「恵みと真理」であったと聖書は告げています。「恵み」だけではありません。また「真理」だけでもありません。イエス様に従うことは、私たちも「恵みと真理」に生きることです。「真理」だけですと、罪深く弱い私たちは耐えられず傷ついてしまいます。「真理」は「恵み」と共に示されると、「真理」は「真理」として生きて相手に届きます。「恵み」を伴わない「真理」は人を裁きます。
「真理」の伴わない「恵み」は「甘え」を生んでしまうのです。「ごまかし」や「うそ」をもたらしがちです。「真理」を伴ってこそ「恵み」は「恵み」として全うされるのです。
「神は存在するのか」と問う人がいます。「神を見た人は一人もいない」のです。しかしイエス様の生活と言葉に心から学ぼうとする人には必ず神様のことが分かるのです。