2020年3月22日 塩山宗満
ルカによる福音書 11章1-4節 (新約127ページ)
祈りは、すぐに聞かれる祈り、待たされる祈り、答えの見えない祈りなどがありますがそのどれもが聞かれた祈りなのです。それは私たちの願ったとおりに聞かれたと言うことではなくて、神の最善の形に聞かれているのです。
先週読んだマルタとマリヤの話の最後にイエス様は「しかし、必要なことはただ一つだけである。(10:42)」と神の言葉に聞き入ることを第一にしなさい、と言われました。そのすぐ後にこの祈ることを教えてほしいという弟子たちの願いと祈りの言葉が置かれています。ひたすらに主のみ言葉に聞き入ることと、それに続いて祈ることが深い関係にあるのです。
主の祈りは個人の祈りであると同時に、教会全体の祈りであります。イエス様が教えてくださったこの主の祈りによって、わたしたちは神に思いを馳せ、イエス様の生涯とその死と復活に思いを馳せ、キリスト者の幸いに思いを馳せ、神に委ねる希望を持つことができるのです。
私たちは時に自分の信仰が揺らいで、不安を持つときがあるかもしれません。そんなときでも、主の祈りを祈ることによって自分の状態がよくても悪くてもイエス様が勧められた祈りを、皆で一緒の祈りことができるのです。
今、日本中で、いや世界中で新型コロナウィルスの感染を阻止するためにいろいろな動きがあります。わたしたちの教会では注意深く状況を見守りながら、今のところは礼拝や諸活動の一部を続けていくことにしています。みんなが不安に駆られているこの時こそ、祈るときでしょう。神が私たちを今日もこの礼拝にわたしたちを招いてくださったことを感謝しましょう。