2020年7月5日 塩山宗満
コリントの信徒への手紙一 9章19-27節(新約 311ページ)
神は私たちを滅びから救い出すために、イエス・キリストをこの地上にお送りになりました。それを信じる人は、行いではなく、キリストを信じる信仰だけによって、神の元へ行くことができ、そしてそのことが人を自由にさせるのです。その自由とは、権利を用いない自由、人々に仕える自由、罪に支 配されない自由です。
そこで、パウロは語ります。「むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。(9:27)」主イエスを信じた人はキリストという良い木に繋がりますから、良い実を結ぶようになります。信仰によって神の愛と喜びとを知ったキリスト者は、自由に、自発的に、隣人に奉仕する生活が始まるのです。
ではわたしたちは何ができるでしょうか。共に礼拝し、聖書を読み、祈り続けること、そして「自分がどのように生きていこうとしているのか」を周りの人たちに伝えることならできるでしょうか。救われた喜びを語ること、たとえ苦しみの中に置かれていても、毎日の生活の中から、神がいて下さるから生きていけるのだ、と語ることによって、主イエスの愛を分かってもらえるのではないでしょうか。
パウロはこう宣言します。「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(9:23)」コロナ騒ぎの中で、なかなか福音をアピールする機会を作ることが難しい時ですが、そのような中で弱くても、間違いが多くても、自分の生き方を見て下さい、と言って良いのではないでしょうか。