2021年4月11日 塩山宗満
ルカによる福音書 15章25-32節 (新約 139ページ)
「愛にあふれた父親と二人の息子」の話は、ファリサイ派や律法学者たちに向けて話されました。この人たちが不平を言い出したのはイエス様が徴税人や罪人たちと食事をしているのに我慢ができなかったからなのですが、この徴税人や罪人たちとは、この話の弟のような人たちです。彼らは律法は守れず、仕事もきちんとできず、一見遊び暮らしているようにしか見えません。でも、どういう訳か、この人たちがイエス様の話を聞きに集まってくるのです。そのような人たちをファリサイ派や律法学者たちは毛嫌いして、追い出そうとするのです。
イエス様はユダヤ人の指導者たちに、あなた達は神を信じて、神の愛を知っているなら、このように失われたように見える人たちを訪ね歩いて、迎えに行くべきではないのか、と言っておられます。しかし、彼らはその人たちを排除した上、イエス様が用意してくださる祝宴に加わろうとはしないのです。
このお話は一見正しく歩いているような兄と、明らかに間違った道を歩いている弟という二つの生き方のどちらにも間違いがあり、父なる神はどちらも愛し、一緒に喜び・祝うように招いておられることを示しているのです。これが福音なのです。「福音」はすべての人が神の前には間違った生き方をしているけれども、そのすべての人が神に愛されているのだ、と言うメッセージを送っているのです。
コロナ危機の中で教会とキリスト者は祈りの人として苦しみの中にある人々のために祈り、仕え、世話をする事が求められています。礼拝という主の祝宴に加わりながら、祈りつつ、その働きを担っていきましょう。