2021年8月8日 三羽善次
イザヤ書 2章4-5節
明日は長崎に原爆が落とされた日です。先週の6日は広島に原爆が投下された日でした。多くの人が原爆によって命を奪われ、今も原爆の被ばくによる後遺症に苦しんでいる人が多くいます。
私たちの国は、この悲惨な戦争の反省として憲法に戦争放棄を明記しました。これは国と国の様々ないさかいや摩擦が起きても、武力をもって解決しないという決意を記したのです。
今日読みましたイザヤ書の中にある「もはや戦うことを学ばない」という聖書の言葉は、要するに戦争放棄の覚悟を表した言葉です。だから日本国憲法の戦争放棄の条項は、聖書のこの言葉の精神を受け継いでいるといっていいのです。そして、この言葉はニューヨークの国連ビルの壁にも刻まれているほどに、平和を築くための標語になっているのです。
わたしたちはどのような意味でも、戦争を美化してはなりませんし、戦争を正当化してもなりません。
主イエスは戦争と平和に関して、次のように語られました。
「剣を取る者は剣で滅ぶ」(マタイ26:52)。
「平和を実現する人は幸いである」(マタイ5:9)
武力はどのような点でも、私たちの社会を作り上げるものではなく、破壊するものであり、それを用い、またそれに頼る者は、それによって滅びの道を歩んでいるのです。また、平和は黙っていれば与えられるのではなく、平和を考え関わっていくことが信仰者の使命であると語っています。そしてこの使命は、先に言いました見張り役としてこの世で生かされていることの自覚と結びついています。