2022年3月27日 三羽善治
ローマの信徒への手紙 8章18-30節 (新約 284ページ)
教会の暦では、今はレントの時です。レントとは、言うまでもなく受難節のことです。キリストの十字架までの日々を信仰を持って思い起すのです。主イエスの復活日(イースター)の前の40日間を指します。
「キリストと共に苦しむ」(17節)。これは、大変深い信仰の事柄を語る言葉です。私たちの人生は苦しみが次々と押し寄せて来る人生のようなものです。
22節では「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」とありますが、それが人生かもしれません。仏教では、人間は苦しみの内に生まれて、「四苦八苦」して生きているのが人生と言えます。しかし、キリスト教と仏教が根本的に違うのは、苦しみはただ人間だけのものではないという事です。わたしの苦しみに共に苦しんで下さる方がおられるのです。「キリストと共に苦しむ」というのは、キリストが私たちと共に苦しんでくださるという事です。
愛する者と別れる苦しさがある一方で、気の合わない「愛せざる者と共に過ごす苦悩」もあります。この苦悩に対して、人間と人間が直接その地金を摩擦させるのでなく、キリストが文字通り二人の間の仲介役をしてくださるのです。
「キリストに結ばれて生きる確かさ」、と言う時の「確かさ」は私たち人間の側にあるのではなく、主イエス・キリストの側にあるのです。十字架の主イエスの贖いの御業を信じ、その執り成しにつながって、それぞれの信仰の人生をしっかり歩んでいきたいと思います。