2023年4月9日 塩山宗満
ルカによる福音書 24章25-35節 (新約160ページ)
イースターおめでとうございます。
聖書は空っぽのお墓とそこに残されていた布の他は、イエス様がどのようによみがえられたかは何も記していません。ただ、ルカによる福音書のこの先を読むと、復活されたイエス様が弟子たちやマグダラのマリアや幾人かの女性たちに現れたことが記されています。
エマオへの道を歩いていた弟子たちは、イエス様と歩いているのに、その方がイエス様だとは分かりませんでした。イエス様が聖書の説き明かしをしてくださったときに福音が分かり初め、心が燃えて暖かくなりました。わたしたちも同じようにイエス様に出会うと、わたしたちのうちに喜びや希望が生まれてくるのです。
信仰を持っても、そしてイエス様がそこにおられても、わたしたちにいつもイエス様が見えているわけではありません。時には目がさえぎられて、イエス様が見えなくなるときがあるでしょう。不安が一杯で、苦しくて、どうしようもないときでも、イエス様が見えなくなることがあります。でも、実はイエス様はそばにいてくださっているのです。あの二人の弟子はイエス様がパンを裂いておられる時にイエス様だ、と知らされました。わたしたちも聖書を読んで祈っているとき、また主の晩餐式でパンとぶどうの実から作ったものを戴いているときにわたしたちは主イエスが見えてきます。
わたしたちは聖書を読み、主の晩餐式に預かっているとき、礼拝で御言葉に浸っているとき、イエス様に出会って心を燃やされていくのです。ご一緒にイエス様に出会って、心を燃やされつつ、与えられた人生を歩んで参りましょう。