2024年4月28日 三羽善次
エフェソの信徒への手紙 4章14-16節
子どもの成長というものは目を見張るものがありますが、大人になるとその成長は年を重ねるばかりで、なかなか見えて来ないものです。特に私たちキリスト者が一向に信仰の成長がなく、惰性のような信仰生活になっているとしたら、まことに憂うべきことです。
今朝の聖書には「キリストに向かって成長する」(15節)ことが語られています。それはキリストによって、キリストに向かって成長するという意味です。
信仰の成長の第一は、プラス志向の成長ではなく、マイナス志向の成長です。人間の能力も社会の経済も、プラスの方向に伸びてこそ価値があると考えがちです。しかし、キリストがこの地上で身を低めて、神の御心に死に至るまで従順に従い通されたように、私たちも神の前に、自分を捨てマイナス方向へと成長することが信仰者の成長です。キリストの恵みを知る者は、神様から戴いた賜物を感謝して献げていくことであり、自らの命を最後に神様にお返しすることです。
信仰の成長の第二の点は、肩の力を抜いて、神様の恵みのうちに伸び伸びと自由に安らいで生きることです。「何かを為さねばならない」というプレッシャーに自分を縛る必要はないのです。主イエスは「空の鳥、野の花を見なさい」と言われて、もうすでに神様の恵みの中に生かされていることを私たちに示されました。
そして究極の信仰の成長は、愛において豊かになっていくことです。主イエスが私たちのために十字架にかかり、罪を赦してくださったゆえに、赦された者は人を赦す生き方へと成長していくのです。この成長の歩みを絶えずしていくところに、信仰の恵みがあるのです。