2024年6月16日 塩山宗満
ペトロの手紙一 3章18-22節
「この水で前もって表された洗礼(バプテスマ)は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼(バプテスマ)は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。(3:21)」
ノアたちは洪水の中を箱舟に乗って生き延びました。それを、20節では、「水の中を通って救われました」と表現しています。かつては、神を知らず神から離れていた自分が、十字架の主と共に古い自分に死に、バプテスマにおいて新しく生き始めるのです。
今、バプテスマ準備クラスを二人の方と続けています。そこで、クリスチャンになるとはどういうことかを確かめています。私たちは神の不思議な導きによって、聖書を通して主イエスの言葉に出会い、「主よ信じます」という信仰告白に導かれます。そしてその信仰告白を神と人との前に示すためにバプテスマを受けます。その人は天にある主を信じる者の大きな群れに加えられ名が記されます。同時に住民登録をするようにこの世で命を戴いている間はこの地上のどこかの教会に所属することになります。皆さんは茂原バプテスト教会に住民登録をしているのです。
バプテスマは、「肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。」ですから、バプテスマを受けたら清く正しい人間になるのではありません。神に正しい良心を願い求めること、すなわち神が示され、主イエスが教えられたような生き方を願い求めて生きていくこと、なのです。バプテスマは信仰生活の出発点であって完成ではないのです。ご一緒に神に正しい良心を願い求め続けて参りましょう。