2024年7月28日 三羽善次
マタイによる福音書 23章23-28節
私たち人間は周囲の目や評判、評価が気になってしょうがない生き物です。だから少しでも自分を飾るようにして、格好をつけたがるのではないでしょうか。玄関に立ち鏡を置いている家も多いかと思いますが、あれは外に出た時自分の顔や姿がみっともなくないかを確認するためです。確かに私たちは他の人たちの視線を気にして生きていると言えます。それは外見だけでなく、生き方や価値観までも他者の目が気にかかるようになります。だから、私たちは自分を飾ろうとするのです。
今日の聖書の言葉で言えば、「白く塗った墓」です。外見だけ、見栄えだけ美しく見せているので主イエスは彼らを「偽善者」と言われたのです。「偽善者」とは、「仮面をかぶった人」という意味で、実相は「強欲と放縦で満ちている」(マタイ23:25)と、主は見抜いておられるのです。その最も辛辣な言い方が「白く塗った墓」です。表面だけ取り繕っていても白く塗られた自分を演じているなら、それは不自由に縛られているのです。
主イエスは「真理はあなた方を自由にする」と言われました(ヨハネ8:23)。真理とは、言うまでもなく主イエスの福音です。福音に生きる信仰者は、もう自分を飾って生きる必要がないのです。主イエスの福音の豊かさの前では、人の飾りは無用なのです。
福音にある自由さは、工業製品のように規格にはまった生き方でも、飾った生き方でもありません。伸び伸びとした神様からの命を自分らしく生き通すことです。それは、自分のエゴに引っ張られたりせず、また周りからの同調圧力にも屈しない生き方です。福音によって解放された生き方こそ、幸いな人生への道なのです。