2025年1月12日 三羽善次
マタイによる福音書 4章12-22節
「人生は、小さな幸せの断片によって作られている」と言った人もいますが、これは鋭い人間観察ではないでしょうか。私たちは自分が背負っている籠に、人生の道すがらにある幸せの一つ一つを拾って入れているのかもしれません。
「神の国が近づいた」というのは、何かのっぴきならない事態が起こった事を告げています。つまり、これまでとは全く違った変化が、今、迫っているという緊張感を、この言葉は、私たちに告げているのです。自分の幸せを求めてもめている人間に向かって語られているのです。ペロたちの召命も、自分たちのこれまでの生き方から、神の声に聞き従う方へと変換されたのです。
そして、この「神の国」が迫る時、人はどうすればよいのか。主イエスは「悔い改めなさい」と言われるのです。「悔い改める」とは、ギリシャ語では「メタノイア」、「方向転換」の意味があります。生き方の方向を変える事、人生の視点を別の方向へ向ける事です。
しかし、私たちは、神の御前に、繰り返し繰り返し「悔い改め」が必要な者です。「その段階はもう卒業しました」という事は、出来ないのです。
私たちの信仰はいつもこの主イエスの「悔い改めて、福音を信じる」ことに立ち帰ることです。これは信仰の初心ではなく、信仰の王道です。
私たちの信仰もまた、自分の思いばかり強く、主への献身と服従が緩んでいるなら、そこに御言葉の楔を打ち込んで、引き締めなければなりません。
「神の国」が主イエスのものであれば、私たちの人生の目標は、この方へ向かってゆく歩みとなります。自分の幸せや願いが第一になるのでなく、主イエスに限りなく向かっていく歩みこそが、私たち信仰者の人生航路と言っていいのです。