2012年4月29日 塩山宗満
マタイによる福音書 13章24-30節 (新約 25ページ)
良い種の中に毒麦が混じって蒔かれていることを知らされた主人は、すぐに毒麦を抜いてしまいましょうかと迫る僕たちに、「いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。(13:29-30)」と言われます。すぐに毒麦を抜こうとすると、茎が若いうちは見分けが付きにくいし、根も麦に絡まっていて良い麦まで抜いてしまうことが多いのです。だからそのまま育てて、刈り入れの時まで待ちなさい、と言われます。毒麦を抜くのは人々の仕事ではなく、イエス様の仕事だと言われるのです。僕たちのように、わたしたちはともすれば目の前にある毒麦を裁きたくなるのです。
イエス様が、刈り入れまで待ちなさいと言っておられます。わたしたちは良い種でしょうか。イエス様を信じて従っている限りそうでしょう。でも、時としてわたしたちも毒麦になることはないでしょうか。神に背いて、歩んだり、人に苦い思いをさせたり、そんなことをしている自分を見つけ出すことがないでしょうか。厳しい人がいたら、そのようなわたしたちはたちどころに抜き取られて、火の中に投げ込まれてしまうかもしれません。でも、イエス様は「そのままにしておきなさい」と言って下さっています。これは、あとになって毒麦と分かるから、と言うより、イエス様が忍耐を持って、わたしたちがよい麦として生きていくことができるように、待っていて下さるのではないでしょうか。
忍耐を持って待って下さっているイエス様を信じ、礼拝で神の言葉を聞き続けながら与えられた道を歩んでいきましょう。