2012年6月3日 塩山宗満
マタイによる福音書 14章1-12節 (新約 27ページ)
ヘロデは、「イエスとは、私が殺したバプテスマのヨハネが生き返ったのではないか」と思いました。彼はヨハネが語る真理の言葉に心を動かされていたところもあったのです。けれども、宴がたけなわになって自分のために踊ってくれた少女にうっかり『「願うものは何でもやろう」と誓って約束』してしまったのです。妻のヘロデアが日頃ヨハネを殺してほしいと思っていたことを考えれば、「ヨハネの首を」と言ってくることに気が付くべきでした。少女の申し出でがあったあとでも、王であればそれを取り消すことだってできたはずです。でも、ヘロデアの要求や、招待客の手前、「それはだめだ」と言う勇気がありませんでした。
ヘロデの誕生祝いの会はとても惨めなひどいものになってしまいました。一方、わたしたちキリスト者にはすばらしい宴会を開くことが許されています。イエス様はこの記事のすぐあとに大勢の人たちに食事を備えて下さいました。イエス様の愛に支えられたすばらしい宴会になったのです。そして、そのイエス様の宴会はそのあともずっと続いて開かれているのです。まず、イエス様が十字架にお掛かりになる日の前に弟子たちを集めて、持たれた過ぎ越の食事の席上で祝われました。これはその後2000年もの間、キリスト教会で受け継がれてきた食卓です。わたしたちも今日ここで主の晩餐に預かりました。そのパンとぶどう酒が主イエスの愛を思い起こさせ、わたしたちを励まし、生かし、力を与えてくれるのです。これからも、この主の晩餐式を大切に祝い続けましょう。一人でも多くの人たちとこれを祝えるように祈っていきましょう。