2012年8月5日 塩山宗満
使徒言行録 20章17-35節 (新約 254ページ)
19-21節にパウロが伝えたこと、「主に仕え、みんなに神の言葉を伝え、教え、そして福音を証ししていくこと」、これが教会の、そしてそこに集められているキリスト者たち一人一人に与えられている務めではないでしょうか。もちろんわたしたちもその務めに招かれています。その仕えていく形はいろいろあるでしょう。こればかりはお一人お一人が自分にふさわしい仕え方が何であるか、考えてつかみ取っていく他はないでしょう。求めていれば神がきっとそれぞれにふさわしい形の仕える場を備えて下さるでしょう。
また「『受けるよりは与える方が幸いである』」と言われた主イエスの言葉にも仕えていかなければなりません。わたしたちは何を与えることができるでしょうか。皆さんとお話をしていると、ときどき「わたしは教会に対しても世に対しても、何もできません、何も与える物を持っていません」と言われるかたがおられます。でもそんなことってあるでしょうか。教会の様々な働きは多くの皆さんの支えによって行われています。誰もが教会に対して、また神に対してお仕えすること、教会の仲間やわたしたちの周囲の人たちに「与えること」はできるはずです。長いこと礼拝に出席することができなかった方が、この礼拝の席に座っておられるだけで、礼拝にやってきた人たちにどんなに大きな喜びが与えられるでしょう。一声挨拶を交わすだけでどんなに慰められるでしょう。また、病床から動けない人がいたとしても、祈ってみんなを支えることはできます。何ができるかはどうぞご自分で探してみて下さい。これもきっと神が皆さんに用意して下さっていることが見つかるはずです。それを探して、そしてその与えられた務めを果たしていきましょう。