2012年9月23日 塩山宗満
列王記下 20章1-11節 (旧約 614ページ)
主の御心に適ったやり方で国を治めていたヒゼキヤが死の病にかかります。そこで、ヒゼキヤは主に祈ります。「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。(20:3)」主なる神が預言者イザヤを通して伝えます。「わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。(20:6a)」そして、ヒゼキヤは命を長らえ、15年後に死んでいきました。このあとのことを読むと、ヒゼキヤが15年更に生きながらえたことはどういう意味があったのでしょうか。
私たちは神に創られたものですから、有限です。神からいのちをいただいて、成長していくですが、あるところからは健康も体調も下り坂になっていきます。そのような私たちは神から預かったいのちを大事に、慎重に用いなければなりません。事故に遭わないように、地震が来たらどうすれば生き延びられるか、火事など起こさないように、そのように工夫をしながらこの頂いたいのちを大切にしていきたいものです。体は不自由になっても、年をとってからでも人間としての成長はできますから、そのことも努めていきましょう。
時が来たら、身の回りを整理していきます。すこしずつ、要らない物は捨てて、あとはどうしてほしいかを分かるようにしておきましょう。長くても短くてもキリストを信じて、意味ある人生を送りましょう。そして、最後はキリストが迎えてくださることを確信して、安心してその時を待てばよいのではないでしょうか。