2012年9月30日 塩山宗満
列王記下 24章10-20節 (旧約 622ページ)
歴代の王による政治は、イスラエルの国を神から背かせてしまい、国を滅亡に追いやってしまい、「バビロンの捕囚」という悲劇がもたらされました。けれども、そのあとユダヤ人は聖書を手に持つことができ、エルサレムから離れていても礼拝をすることが出来る場所、シナゴグを持つことができ、また家庭での宗教教育を行うことができるようになり、神の前に立ち返ることができました。バビロンの捕囚は辛いことだったのですが、それでも神の愛をもう一度確かめることができ、神との交わりを回復することができるという良い面もあったことを思わされました。そして、このことは神のご計画の内にあったのだ、と気がついたのです。
私たちもこの茂原の地で生活しつつ、イエス様を救い主と信じて、教会に集まって礼拝をしながら暮らしています。その間に嬉しいこと楽しいこともありますが、苦しいこと、悲しいこともたくさん経験していきます。時に、どうして神は私たちをこのような苦しみの中に置かれるのだろうかと叫びたくなるときもあります。イスラエルの民が、バビロンの捕囚は神のご計画の中にあったのだと気がつくまで長い年月がかかりました。わたしたちにも何が神のご計画なのかはなかなか分かりません。何かが起きたときにはそれは私たちにとっては益ではないようなことも、すぐに理解できないことも、神がきっとその意味を教え、示してくださるでしょう。そしてそのことも神のご計画のうちにあることを確信して、それをしっかり受け止めて、神が示される意味を考えながら毎日の歩みを続けていくことをしていきたいと願います。