2012年10月21日 塩山宗満
詩編 119編25-32節 (旧約 960ページ)
「信仰の道をわたしは選び取りました。あなたの裁きにかなうものとなりますように。(119:30)」
詩人を悩ませている苦しみや重荷も、信仰の道を選び取ることによって解放され、心が軽くなり、とうとう「わたしは戒めに従う道を走ります(119:32)」と述べます。喜びを、また自由さを表した表現です。神から恵みを戴くと、同時に私たちはその恵みに応える働きを自然に、走るように行っていくのです。
信仰の道とは何か、と考えると、ヨハネによる福音書の「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)」というあの言葉を思い出します。
どの道が良いかは「これが行くべき道だ、ここを歩け(イザヤ30:21)」とあるように、神が示してくださいます。また、イエス様がご自分で、「わたしは道である」と言って私たちが歩むべき道を示してくださっています。私たちは今日もこのように神に招かれ、礼拝に集まってきました。「信仰の道を選び取った」のです。この選び取った道を踏み外さないように神に願いましょう。それには礼拝や教会学校や、一人一人の聖書を読み祈る時間を持っていつもいつも神の言葉を聞き続けることです。「信仰の道を選び取る」ことは、イエス・キリストを救い主と信じ、イエスさまと共に道を歩むことです。「主イエスを救い主と信じ、バプテスマを受けたい」という願いが起こされた人は、牧師までそのことを教えてください。ご一緒に祈りながらイエスさまを救い主として受け入れる準備をしていきましょう。