2012年10月28日 塩山宗満
詩編 119編105-112節 (旧約 964ページ)
この詩を書いた人は長い人生を歩んできた旅人のようで、明るい昼間だけでなく、暗い夜も、嵐の中をも歩かざるを得なかったことでしょう。この人にはその歩む道を照らす灯がどうしても必要で、その灯とは御言葉だったと語っています。
ここに記されている「御言葉」とはこの詩編の作者にとってはどんなものであったでしょう。この詩が書かれたのは紀元前6世紀頃だとすると、御言葉というのは律法の書といわれている旧約聖書の最初の五つの書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と、イザヤ、エレミヤを中心とする預言者の書物のことです。まだ新約聖書の福音書も、使徒の手紙もないのです。このような律法の書を読むか、預言者の書を読むことによって神のみこころを戴いているのです。それでもこの詩人にとっては御言葉がわたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯だと言っています。
道とは何か、と考えるとやはり、この言葉を思い出します。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)」律法とか掟とか、み言葉とか、この詩編に何度も出てくる言葉、そして道という言葉が、何を表しているのかは、イエス様をしっかり見ていけば良い、イエス様が示される道に従って歩んでいけば良い、そうこの聖書は言っています「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。(119:105)」をぜひ覚えてしまってください。イエスさまが示される道、光に照らされた道をご一緒に歩いていこうではありませんか。