2013年1月13日 塩山宗満
創世記 37章23-36節 (旧約 65ページ)
エジプトへ売られていくという経験はヨセフにとってどんなものだったのでしょうか。これまで読んできたところから推測すると、ヨセフという若者は父親に溺愛され、あまり苦労を知らなかったので、他の人たちに対する配慮とか、思いやりとかに欠けていたのではないでしょうか。それは、父親に告げ口をした、とか裾の長い晴れ着を意気揚々と着ていたとか、自分が見た夢をすぐに兄たちや父親に話してしまうとかというところから読み取れます。けれども、売られていった先で、ヨセフは様々な苦しみを経験していきます。
だいぶ先になりますが、そのヨセフが父や兄たちのと劇的な再会をした後、父ヤコブが亡くなってから、自分たちの安全を心配する兄たちに語る言葉があります。「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。(50:20)」ヨセフはこのような思いやりをすることができる人間に変えられていったのです。ヨセフは人々との交わりの大切さを学びました。また彼は異境、エジプトの地で暮らしていく中で、天地を創られた主なる神のことを知るようになりました。そのような成長をする時が備えられたのです。
わたしたちも、ヨセフのように人を思いやる心を神に育てていただくと同時に、なによりも主なる神がわたしたちの生活を支配しておられるのだと言うことをよく知って、毎日を送っていかなければならないことを今日の聖書から読み取っていこうではありませんか。