2013年1月20日 塩山宗満
創世記 41章25-36節 (旧約 65ページ)
ファラオはヨセフに自分の見た夢を語ります。それを聞いたヨセフは、このことの主導権は神にあるのだ、と伝えます。「神がファラオの幸いについて告げられるのです。(41:16)」、「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。(41:25)」、「ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。(41:32)」とくり返し、神がこのことの中心におられ、ファラオが神と関わらなければならないことを示しています。そしてどのようにその飢饉に備えたらよいかは「ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。(41:33-34)」と具体的な対策まで踏み込んで伝えます。
私たちもいろいろ課題を持っており、それに対して計画をしたり、対策を考えたりすることが求められます。神がして下さるから、といって何もしないのは無責任です。その上で、私たちが立てた計画が神のみ旨にかなうかどうかをしっかり祈って確かめることが求められます。時には私たちにはみ旨がわからないことがあるかもしれませんが、そのときでも、わたしたちは祈って物事を進めていくのです。この教会のこれからの歩みをそのように祈りながら計画し、いのりながら進めていきましょう。今はそのことを考える時です。ご一緒にこの神の計画に加わっていきましょう。