2013年5月26日 塩山宗満
ルカによる福音書 18章9-14節 (新約 144ページ)
ファリサイ派の人と徴税人の祈りをお聞きになって、イエス様は言われます。「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」私たちはこの言葉にびっくりします。
では、私たちはどちらなのでしょうか。私たちは自分を正しいとうぬぼれているファリサイ派の人なのではないでしょうか。私たちは自らを誇って神の前に間違いを犯します。律法を守ろうとしても、それができていないことにすぐ気がつきます。そのような私たちが聖書をとおしてイエス様に出会い、イエス様との交わりを通して、神が罪人である私たちを受け入れてくださるのを経験します。そのときに、私たちは「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」と叫ばざるを得なくなるのです。イエス様を救い主と信じた人は皆このことを経験しています。そうすると私たちは、「憐れんでください」と叫ぶ徴税人でしょうか。確かにイエス様への信仰を与えられ、信仰告白をしたときはその通りです。でも、私たちはいつのまにかファリサイ派の人の祈りをしていることに気がつきます。ですから私たちは時にファリサイ派の人だし、ときには徴税人のように悔い改め、イエス様に祈っている、どちらにもなっているのではないでしょうか。イエス・キリストの愛を戴き、私たちの罪を自覚し、その罪をイエス様の生涯を通して赦して頂いたことをいつも確かめましょう。そのことに感謝をしながら、神と人とに仕えていこうではありませんか。