2013年9月15日 塩山宗満
エステル記 1章10節-2章4節 (旧約 763ページ)
今週と来週、礼拝で読む聖書、エステル記は、歴史的な事実が記されていると言うより、いわゆるお話、物語です。この書の中には、神、主、礼拝などと言った言葉が一つも出てきません。それでも聖書の中に組み込まれている、不思議な書です。
今日のお話しは一人のペルシアの王様の気まぐれによって、王妃が退けられ、新しい王妃が選ばれた、ということを語っています。お話しとしても、ここまでであれば、ああそうか、で終わってしまうところです。また、3:13のハマンがユダヤ人を皆殺しにする勅令を全国に出した、というところは、ユダヤ人が全世界に広がっていったときに、世界中のいろいろなところで摩擦が起き、ユダヤ人虐殺が起きた、と言われている事例の一つを示しています。
今日の所から私たちが読み取るべきことは、何でしょうか。その一つは、神がこのような出来事を通してでも御自分のご計画を進めて行かれる方だ、と言うこと。それに、なぜモルデカイがハマンに敬礼をしなかったか、ということを考えてみましょう。このエステル記には神と言う言葉は出てきませんが、それでも、このモルデカイのように神以外のものを礼拝することはありえないユダヤ人の信仰が明らかにされています。このよう神にでないものを拝め、と言う圧力は何時の時代でも信仰を持つものに襲いかかってきます。私たちが自分の置かれている時代をよく見て、神ならぬものを神として拝め、と言ってこないように監視をしていなければなりません。遅かった、と言うことがないように、今の時代をしっかり見つめていきましょう。