2013年11月24日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 10章8-15節 (新約 288ページ)
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる。(10:13)」み名を呼ぶというのは祈りのことです。主の名を呼び求めて、祈る人は誰でも救われるのです。そして、信じたことのない方をどうして呼び求められよう、とパウロは言います。そのためには聞くことが必要なのです。17節を見ると「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(10:17)」と言われています。
この、キリストの言葉をわたしたちは誰から聞くのでしょうか。それには、宣べ伝える人がいなければなりません。その宣べ伝える人は神から遣わされるのです。そして15節b「「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。」と続きます。口語訳では「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」となっています。
ここでは、その良い知らせを伝えるものの足は、なんと美しいのか、というのです。そうすると何を知らせるのかが重要になります。「良い知らせ」とはエウヴァンゲリオン、他のところでは福音と訳されている言葉です。パウロは、良い知らせとは何かと言うことを、すぐ前でこう言っています。で「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる(10:9)」。とても単純なことなのです。主イエスの生涯と十字架、復活そのことが「良い知らせ」なのです。その良い知らせを聞いて信じましょう。そして良い知らせを伝える者になりましょう。