2014年1月12日 塩山宗満
出エジプト記 1章22-2章10節 (旧約 95ページ)
後に神の御心にかなった指導者となるモーセが生まれ、女性たちの協力によって生きながらえた事が記されています。ここには神とか、主という言葉が出ていませんが、一見神が見えないような状況の中でも神はしっかりと働いておられることがここから読み取れます。ファラオの王女が「川に下りてきて」、「籠を見つけ」、「泣き声を聞き」、「ふびんに思い」、その川から引きあげ男の子の世話をしたのですが、これは神がこの王女を用いてこのようにさせられたのです。この王女には同情をする心、正義への勇気といった人に備わっていなければならない性質がしっかり根付いていたのです。神はそのように神を信じているか、信じていないかに関わりなく、時として人間の持つ力を用いられます。神がご自分の民を救い出すための準備をこの段階からしておられたのです。そのときに神は人々をロボットのように扱うのではなく、たとえばこの王女のように、その人の持つ優しい性質とか、判断能力とかを用いて神の目的を達成していかれるのです。
私たちも神が私たちにどのような恵みや賜物をくださっているかを知りましょう。この茂原の地でなすべき事を、私たちに与えられている賜物を用いて、できる限りの努力をするように神は私たちに求めておられるのです。神は私たち一人ひとりが持っている賜物を用いてご自分の計画を実行していこうとされるのです。皆さんもご自分に与えられている、神からの賜物に目を留めてください。そしてそれを十二分に用いるにはどのようにしていったらよいかをご一緒に考えていこうではありませんか。