2014年1月19日 塩山宗満
出エジプト記 2章11-25節 (旧約 95ページ)
モーセを捕らえようとしたエジプト王は死んだのですが、新しい王になってもイスラエルの人たちの苦しみはますます大きくなり、労働のゆえに「うめき」、「叫んだ」と記されています。
一方、神の側からはどんなことが起きているのでしょう。「神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。25 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。(2:24-25)」のです。主なる神がイスラエルの民の苦しみをご自分の苦しみとして受け止められ、そして、いよいよ次の行動を取ろうとしておられるのです。
神がここで動き始められたのはなぜでしょう。それは、時があるからではないでしょうか。エジプトは新しい王になりましたが、その王はますますイスラエルの人たちに圧迫を加えていきました。また、イスラエルの民も時が来て、声を上げ始めました。そしてその声が神に届き、神はそれをお聞きになりました。時が来たのです。
わたしたちにも時があります。わたしたちの教会にも神が動き出そうとしておられる時があるのです。それは「今でしょう」。神がわたしたちの教会に不思議に人々を集めてくださっています。教会員の家族が、祈りに応えて礼拝に来られるようになりました。この土地に引っ越してきて、この教会の礼拝に出るようになった方たちがおられます。一度は出席が難しくなった方がまた礼拝に来ておられます。神がこれからわたしたちの群れに何をしようとしておられるのかを皆さんとご一緒に見極め、その御意志に沿って歩みを進めていこうではありませんか。