2014年1月26日 塩山宗満
出エジプト記 3章1-12節 (旧約 96ページ)
神はモーセに使命を与えられます。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。(3:10)」それに対して、モーセは「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。(3:11)」と答えています。モーセはこれまで神との関係をしっかり持っていたわけではありません。イスラエルの民のこともよくは知りません。また、指導力を発揮する、といった経験もありません。モーセと言う人は、ちょっと親切で正義感を持っている、普通の人間なのです。
自分にはとてもそんなことは出来ません、と反論します。それに対して神は、忍耐強く、何度も何度もモーセとの会話をくり返されます。神の前に召し出される人は、神と顔を合わせるときでさえなんとかありのままの自分を主張しようとします。人は神の前でも抵抗したり反発したりもするのです。このように問いと応答がある関係が神と人とのまことの関係だと聖書は語っているのです。私たちが神に出会って、自分の人生を神にゆだねようとするときでも同じなのではないでしょうか。聖書がこう言っているから、教会が説教でこう語っているから、はい、と素直にそれを受け入れてキリスト者になる人は少ないでしょう。やはりそんなはずはない、そんなことは出来ない、とんでもない、と神からの語りかけに反発し、抵抗しながら、尚語りかけてくださる神の言葉に従わされていくのです。そのような神に喜んで従っていこうではありませんか。