2014年2月2日 塩山宗満
出エジプト記 3章13-17節 (旧約 97ページ)
「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名、これこそ、世々にわたしの呼び名。(3:15)」
ユダヤ人は神の名、ヤーウェを畏れ多い、としてアドナイと読んでいました。ヘブライ語が読めなくなったユダヤ人や、ユダヤ教に改宗した異邦人のために、ヘブライ語聖書が、紀元前180年頃にギリシア語に翻訳されたのですが、そのときに神の名前、ヤーウェを、ギリシア語のキュリオス(主)と翻訳しました。
福音書の中でこのギリシア語の「キュリオス・主」という言葉は、主人とか王とかの意味で頻繁に使われています。イエス様に対しても、弟子たちは先生、と言うような意味で、主と呼んでいました。けれども、イエス様の十字架と復活の後、教会はイエス・キリストを主と呼ぶようになります。当時のローマ帝国支配の社会では皇帝を「主」と呼ばせる力が働いていましたが、キリストを信じる者たちはそれに抵抗して、ただ一人の神とイエス・キリストだけを主と呼んで従うことを宣言しました。パウロはこう言っています。「わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。(コリント一8:6)」わたしたちもこの唯一の主、イエス・キリストを信じて、与えられた人生を歩んで行きたいと願います。