2014年2月9日 塩山宗満
出エジプト記 4章10-17節 (旧約 98ページ)
「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。(4:10)」モーセはなぜ自分が選ばれなければならないのか、不安で一杯でした。主なる神は言われます。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。(4:11)」わたしはあなたたち一人ひとりを造ったのだ。あなたたちの中には話せる人も、話せない人も、聞こえる人も、聞こえない人も、見える人も見えない人もいるだろうけれども、その一人ひとりをわたしは大切に造ったのだ、と言われました。そして「さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。(4:12)」と励まし、勧めておられます。わたしが一緒にいるのだから心配することはない、と神は言っておられるのです。神はモーセがたとえ言葉はうまく話せなくても、指導者としての賜物を持っていることを見抜かれ、選ばれたのです。神は実に自由に人々を選んで用いられるのです。
皆さんにも神は声を掛けておられます。何のためにかは一人ひとり違うでしょうが、神は皆さんをご自分の目的のために用いようと願っておられ、皆さんに声を掛けておられるのです。モーセは燃える柴の中からこの神の声を聞きました。皆さんにはどのような場が備えられているでしょうか、祈りつつ心で神の声を聞き取ってください。