2014年2月16日 塩山宗満
出エジプト記 4章29節-5章9節 (旧約 100ページ)
「また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。(4:31)」との言葉はイスラエルの人たちを力づけました。わたしたちも今日、こうして集まって礼拝をしています。教会は礼拝をし続けます。2000年の間この礼拝は続いてきました。この礼拝に出席することによって、これまでは人と人とのつながりしか持っていなかった私たちに神とのつながり、そして神を信じる人々との交わりが与えられていきます。教会とは赤ちゃんからお年寄りまで一緒に集まって、同じ本、聖書を読み、賛美歌を歌う不思議な群れです。
どうしてみんな礼拝に集まってくるのでしょう。それは、礼拝をする群れ、教会が単に同じ考えの同じ信仰の人たちだけの集まりではなく、「入り混じった人たちの群れ」、信じる人も、信じない人も、自由な人も不自由な人も、笑っている人も泣いている人も、疲れている人も、元気な人も、重荷を負っている人も、障害を持っている人も、外国人も、誰もが集まってくるところだからなのです。「主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になった」ように、ここに集まる一人ひとりを神がご覧になり、顧みてくださるからなのです。そこに身を置いて、共に神の言葉を聞いて慰めを戴き、共にその慰めに感謝をして賛美歌を歌い、祈ることができるからなのです。今日も集まりました。また、来週も集まって神の言葉を聞き続けましょう。そして、ここにまだイエス様のことを知らない人たちを招きましょう。