2014年2月23日 塩山宗満
出エジプト記 6章1-13節 (旧約 101ページ)
主なる神はまず「わたしは『ヤーウェ・主』という名前の神だ、と自己紹介をしておられます。
先週、わたしの古い友人が二人が茂原を訪ねてきました。積もる話をしましたが、その中に、宗教談義もありました。一人は「神なんていないんだから、このまま死んで消えていくんだ」と割り切っています。もう一人は、毎日散歩に行って、その途中にある神社に寄って、父上のこと、娘さんに赤ちゃんが生まれたので、その子が丈夫に育ちますように、などをお願いしてくる、と言っていました。
その二人の話を聞きながら、主なる神のことをどう伝えていったらよいか、いろいろ考えさせられました。聖書の成り立ちとか、キリスト教、ユダヤ教との関係、そしてキリスト教が主イエスの十字架と復活から始まったことなどを語りながら、もう70歳にもなったこの人たちに信仰をつたえるのは簡単ではないな、と思わされました。そして、今日の出エジプト記を読みながら、やはり聖書を読んで、お祈りをして、そこから神の声を聞き取っていくという手順を踏むしかないのだと思ったのです。
使徒言行録の次の言葉も思い出されます。「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。(中略)わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」ご一緒に今日の聖書にある「わたしは主である」と名前を語られた神を、そしてイエス・キリストのみ名を宣べ伝えていきましょう。