2014年4月13日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 19章16-27節 (新約 207ページ)
ヨハネの十字架の物語は私たちに何を語ろうとしているのでしょうか。ここを読むとゲッセマネの園の様子を見てもマルコやマタイ福音書に表現されているような苦しみは強調されておらず、イエス様は粛々と父なる神が定められた道を歩んで十字架に向かっていかれたように見えます。
これにはヨハネがこの福音書の最初から語っていることを思い起こせばよいのではないでしょうか。ヨハネはまず「初めに言があった(1:1)」と記しています。イエス様ははじめから神と共に存在しておられて、その「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」 (1:14)と言います。そのように神から送り出されたイエス様は、良い羊飼いであり、まことのぶどうの木なのです。わたしたちがなすべきことはこのイエス様を信じて、羊飼いに従う羊となり、イエス様というぶどうの木につながる枝となり、実を結んでいくのだ、と勧めます。そうすれば、苦しみとか悲しみとかは乗り越えることができるのだ、とヨハネは語るのです。そしてイエス様は「成し遂げられた」と言って、死んで行かれました。
私も皆さんにお勧めします。教会に集って、礼拝で一緒に賛美をし、共に祈りをし、宣教を聞いて、イエス様につながり続けましょう。そうすればイエス様から栄養分を頂いて実を実らせることができるのです。神様から頂く愛を持って歩んでいけば、毎日の社会での、学校での、家庭での生き方も主が支えてくださいます。それから、葬られたイエス様はそのままで終わりではなかったのです。来週の礼拝でその聖書のメッセージをご一緒に聞きましょう。