2014年7月20日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 15章1-10節 (新約 198ページ)
まことのぶどうの木であるイエス様につながっていて、イエス様に頼っていると、そしてイエス様の愛のうちに置かれるとわたしたちは不安や苦しみ、悲しみから開放され喜びがあふれてきます。でも、これはわたしたちのうちに不安や苦しみ、悲しみがなくなるというのではありません。わたしたちにもどうしてこんなことが、と思われる苦しみや悲しみが襲ってくることがあります。イエス様が「11節これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」といわれるのは苦しみや悲しみがないからではないのです。イエス様ご自身が、このすぐ後に十字架に掛けられるという苦しみに遭われるのです。
キリスト教はそこから「苦しむ人と共に苦しむ」と言う生き方をこの世界にもちこみました。それまでは、苦しんでいるもの、弱いもの、小さいもの、傷ついたものは軽蔑され見捨てられていました。イエス様はそのような人たちに特に眼をとめられ、出かけて行かれました。だからイエス様は、わたしたちにも、周りの人たちの弱さや苦しみに目を止めるようにお示しになります。神が皆さんをある人のところへ送って出会わせてくださるのですから、その人とともにいて、座っていれば良いのです。そして、それはお互いにそうしなさいと言われています。あるときには私が苦しみの中にあり、ここにおられる皆さんから慰めを戴くし、あるときは苦しんでいる皆さんの所にわたしも行って、一緒に座っているのです。そのような、共にいる群れとなっていきましょう。