2014年10月19日 塩山宗満
詩編 133編1-3節 (旧約 975ページ)
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(133:1)」「兄弟」という言葉は直訳すると兄弟の一族、というような意味で、必ずしも血がつながった人たちのことを言っているのではありません。それより、信仰によって一つにされた同志と言う意味の方が強いようです。詩編が編纂されたのはイスラエルの民がバビロンの捕囚として故郷から連れて行かれた頃のことです。時期は同時にイスラエルの民が世界中のいろいろな場所へ散らされていった時代でもあります。それからしばらくして、ユダヤ人たちはエルサレムへ帰ってくることができました。そして神殿を再建しました。世界中のいろいろな場所で暮らしていた離散のユダヤ人にとって、年に一度のエルサレムでのお祭りの時に集まって、神殿で礼拝をする、そのことははかりしれない喜びだったのです。
この詩を読みながらわたしは先週の「障害」者と教会委員会の集まりのことを思い出します。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(133:1)」と言う言葉を、私たちは体験したのです。集まってきたのは46名、それも教派や、年齢層、障害の違いなどいろいろ変化に富んだ人たちが一堂に集まり主を賛美し、交わりを持ったのです。
多くの人たちがこの詩が歌っている光景は、教会の姿なのだと言います。シオンとは今の私たちにとっては教会のことです。教会はこのような交わりを持つところなのだ、とこの詩が教えてくれているのです。私たちの教会もこのような交わりと宣教をしていくことができるよう祈り、働いていきたいと願います。