2015年8月2日 塩山宗満
ヨハネの手紙一 5章6-12節 (新約 446ページ)
「わたしたちが人の証しを受け入れるのであれば、神の証しは更にまさっています。神が御子についてなさった証し、これが神の証しだからです。(5:9)」ユダヤの法廷ではある問題が正しいか間違っているかは証言をする人が二人、または三人同じ証言がされるかで判断されます。そこでヨハネは、水と血と聖霊の三つが主イエスが神の子であることを証しをするのだと述べています。
わたしたちは普通に暮らしていれば神と出会うことはありません。でも、聖霊の働きによってイエスは主であると告白させられ、信じるようになってからわたしたちはイエス様が救い主であることを証しせざるを得なくなります。ヨハネはこの手紙の最初に「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。(1:1)」といって、目や耳や手を通して自分たちが体験したことを伝えると言っています。これが証しです。ヨハネにとってこのような証しは福音が伝えられていくのに必要なことでした。
わたしたちの教会でも皆さんに証しをしてください、とお願いしています。証しは「神がわたしたちに何をしてくださったか」を5-10分ぐらいにまとめて話してくだされば良いのです。そのことが神の栄光を表すことになるのです。
人間が証言をしても神の働きが認められるのなら、神ご自身が証言をするのであれば誰が疑うことができるでしょう。神が御子をこの世に送ってくださったこと、そのことが神の証しです。イエス・キリストを救い主と信じ、御子のことを証ししながら神が与えてくださった人生を歩んでいきましょう。