2015年9月6日 塩山宗満
詩編 137編1-9節 (旧約 977ページ)
この詩人にとって最もつらいできごとだったのは、エルサレムが破壊され、バビロンに連れて行かれ、その上に聖なる賛美を宴席で歌えなどと強要されたことでした。このことはなぜ起きたのでしょうか。イスラエルの人たちはそれを、彼らが神の言葉に聞き従わなかったからだ、と感じていました。そのできごとは結果として聖書を編集し、シナゴグを建て、ユダヤ教という律法を中心にした教えがまとまり、ユダヤ人という国と民族が一つになるきっかけになりました。
では、わたしたちはそれに匹敵する苦しみがあるでしょうか。個人的には皆さんそれぞれに最もつらかったことがおありだと思います。わたしたち日本という国ではどうでしょう。やはり1945年の第二次世界大戦の敗戦のことでしょう。わたしはあの敗戦の後、日本という国が「もう戦争をしない」と内外に宣言して、国を建て直していったその思いを大事にしたいと思うのです。集団的自衛権などを持つことなく、戦後70年歩んできた平和を求める歩みを続けていけば良いのではないでしょうか。
使徒パウロは自分の歩みを振り返ってこう言いました。「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(コリント二12:10)」徹底的に痛めつけられどん底に落とされた時に、弱いように見える時に、わたしは強いといいます。わたしたちも、苦しみに遭っている時こそキリストの助けがあるのだ、と知って、喜んで主に導かれる道を歩んで参りましょう。