2015年10月4日 塩山宗満
エレミヤ書 1章1-10節 (旧約 1172ページ)
「主の言葉がわたしに臨んだ。(1:4)」エレミヤの神との出会いがここに描かれています。これから後エレミヤが語っていく言葉は、主の言葉で、神の言葉はこのように具体的な人物を通して、その時代の人たちに語りかけられていくのです。語られる中身は、神からの指示、勧め、ときには慰めの言葉です。そして、それを聞いた人に、ただ聞くだけではなく、それを聞いてどうするのか決めることが求められます。エレミヤが神の言葉を語ると、それを聞いた人が何らかの反応をし、そしてそれによって、何らかの出来事が起こります。預言者は語った言葉の責任を取らされます。この神との出会いがその後のエレミヤの生涯の方向を決めました。そのような神の言葉をエレミヤは40年以上語り続けました。彼は涙の預言者とも呼ばれているのです。
エレミヤが神に選ばれて、呼び出されて、預言者としての召命を受けその人生を歩み出しました。神はこのようにご自身が必要だと思われる人を呼び出して、ご自分の目的にために用いようとされます。エレミヤはそれを、とても受けることができないとためらうのですが、神はなお「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」という約束を与え、エレミヤをその任に就かせられました。わたしたちにも、そしてこの教会にも神からの呼びかけがあるでしょう。どうか皆さん、それを静かに聞いて、皆さんの使命を見つけ出してください。そしてその神からの導きに従って歩いて行きましょう。このエレミヤ書を読みながら、神の言葉がどのようにわたしたちに伝えられるのか読み取っていきましょう。