2015年10月11日 塩山宗満
エレミヤ書 7章1-11節 (旧約 1188ページ)
エレミヤが神殿の門の前で語っていた時代、ヨシヤ王の宗教改革の成果もあり、神にすがろうと神殿に来る人たちは増えていたようです。けれども神はそのように礼拝に来ていけにえをささげる、形だけの礼拝は真の礼拝ではない、と言っておられます。神はこのイスラエルの民をユダの地に住まわせると約束しておられるのですが、それはこの民が、神との契約にあったことをきちんと守ることが前提なのです。
当時の人々の中には「主の神殿、主の神殿、主の神殿(7:4)」と叫べば主なる神が聞いてくださって、守ってくださるという、一種の呪文のような言い方をする人たちがいました。「主の神殿」と叫ぶだけで守ってもらえるというのは、神の、民に対する思いとは違っているのだ、と主なる神はエレミヤを通して語っておられるのです。
私たちは「礼拝に集まろう」と皆さんに呼びかけています。それはキリスト者として第一に必要なことだからです。教会員手帳の教会の使命と書かれているところ(45ページ)にも「主日礼拝」、万物の主である神をあがめ、賛美と栄光を帰し、神に従い、委ねる生活がわたしたちの信仰です。この信仰生活の中心が主日礼拝です。と書かれています。その少し後に、「証しの生活をしましょう」と記されています。キリスト者として信仰を元に、世の中のいろいろな問題について判断をして、対処していかなければなりませんが、その時の判断基準に神からの教えが必要になってくるのです。私たちは神の前に正しい道と行いをして行くことが求められているのです。ご一緒に神に喜ばれる道を歩んで参りましょう。