2015年10月18日 塩山宗満
エレミヤ書 13章1-17節 (旧約 1200ページ)
エレミヤは主なる神から、麻の帯を買ってきてそれを腰に締めなさい、と言われました。そこで彼は主が言われたとおりにしました。しばらくして、主の言葉が届きました。「あの、買ってきた帯をユーフラテス川へ行って、その帯を岩の裂け目へ隠しなさい。」エレミヤはそのようにしました。ずいぶん時がたってから、もう一度主の言葉がエレミヤに届きました。「ユーフラテスに行って、あのかくしておいた帯を取り出しなさい。」エレミヤが取りに行くと、帯は既に腐っていて、何の役にも立たないものになっていました。
ユーフラテスで帯が腐ってしまったように、イスラエルの人々は主なる神の言葉に聞き従わず、神でもない神にひれ伏している、何の役にも立たないものに成り下がってしまっている、と神は言われます。そこで、神はユダの民を捕囚というできごとに出会わせ、朽ち果てさせてしまう、とエレミヤに預言をさせておられるのです。
「聞け、耳を傾けよ、高ぶってはならない。主が語られる。(13:15)」とエレミヤは語ります。イスラエルの民は主なる神に選ばれ、導かれ、神の誇りとされた人たちなのです。けれどもほかの神々に従ってしまったのです。エレミヤは、人々にそれを改め、むなしい神々を棄てて主なる神を礼拝しなさい、と涙をもって語ります。
イスラエルの民と同じように、わたしたちも神から招かれたものなので、「高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ち、愛をもって互いに忍耐しあい、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ(エフェソ4:2-3)」生き方ができるよう願ってまいりましょう。