2015年10月25日 塩山宗満
エレミヤ書 20章7-13節 (旧約 1214ページ)
預言者エレミヤは主なる神から託された言葉を語っているだけなのにつらい日々を送らなければいけませんでした。耐えきれなくなった若いエレミヤは、もう主の名を口にすることも、主の名によって語ることをやめてしまおう、と思いました。エレミヤは神の命令から逃げ、「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思った(20:9a)」のです。
預言者としての働きなどもうやめてしまおう、と決心したエレミヤなのですが、そう思った瞬間に、「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。(20:9b)」と告白せざるを得ない力に気がついたのです。主の言葉は、逆らおうとしているエレミヤの内に燃え上がる炎のようにエレミヤを熱し、いくらそれに逆らおうとしてもそんなことはできず、主の言葉の力に対抗するのに疲れ果ててしまった、と告白しているのです。エレミヤに残された道はただ一つです。たとえ苦しみがあったとしても、自分の今の状況を神に委ね、神からの慰めを待つことしかできないのです。エレミヤはこのように神の言葉の持つ圧倒的な力に従って歩く道しかないことを知りました。
わたしたちにとって神の言葉はどんなものなのでしょう。礼拝に来て聞く聖書の言葉は皆さんの内にとどまっているでしょうか。このエレミヤのように神の御言葉が熱を持ち火のように燃え上がることがあるでしょうか。鋭い剣のような御言葉に正され、そして熱い思いをはき出すように、神のために働く者となっていこうではありませんか。