2016年2月28日 塩山宗満
申命記 34章1-12節 (旧約 338ページ)
申命記に記されているモーセの生涯を通してわたしたちが読み取ることができるのは、私には二つの点が示されます。
一つは私たちの生涯が、自分に何ができるか、ということより、神が自分に何を求めておられるのか、ということ、そしてその神の求めにどう応えていくことができるか、ということを考えたい、ということです。
先の聖書を読む集いで「信仰とは」というテーマで聖書の中で信仰のことがどのように語られているかを読みました。そこで学んだことの一つは、「わたしたちはどのように信仰を選ぶのか」ということでした。世界中にたくさんある宗教の中で、わたしたちがどの教えに出会うかは、神がその環境を備えてくださるのです。わたしたちはモーセのように、ある時代にある地域で、ある環境の中で神と出会うのです。もちろんそこには受け取る側の決断が求められますが、主導権は神の側にあります。
もう一点は、わたしたちが願い求めることが、すぐその場で完成するだけではない、ということです。神がアブラハム、イサクなどに約束されたことはその数百年後に果たされました。わたしたちの教会も約20年前に伝道を開始しました。この教会は「日本伝道の使命のために長生郡市を中心としたこの地域の人々にキリストの福音を伝え、バプテスト教会を形成するために伝道を開始」したのです。そして、今わたしたちは50人の礼拝を願って祈り始めました。「憩いの場」プロジェクトも次の世代の人たちのことを考えて建て挙げようとしています。これらのことを思いながら、この受難節の日々を過ごして参りたいと思います。