2016年3月6日 塩山宗満
ルカによる福音書 22章39-46節 (新約 155ページ)
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。(22:42)」この杯とは何でしょう。イエス様は、まもなくユダヤの指導者とローマ当局の人たちがやってきて捉えられ、十字架の刑に処せられることを知っておられました。人として生きてこられたイエス様が、33歳で死に直面せざるを得ないのですから、それは大きな苦しみだったでしょう。弟子たちを置いて十字架に進まなければならないことも心配でした。そこで、この杯を取りのけてください、と祈られたのです。でも、「御心のままに行ってください」と覚悟を決めておられました。
わたしたちは祈り始めるときは、自分の病気からの回復、自分の前に立ちはだかる障害や苦しみを取り除いてください、という願いが中心です。でも、祈っていくにつれて、自分のことだけでなく周りの人たちのこと、教会のこと、地域のことなどに目が向いていきます。祈っていくうちに他人にはきびしく、自分には甘い基準や、取るに足らないことを重大視して、それさえ解決すれば幸せになると錯覚してしまいます。祈りの中でそのような自分に気付かされていきます。
わたしたちは今、大事な祈りの時に置かれているのではないでしょうか。皆さん一人一人に越えなければならない課題があります。また、教会もこれから挑戦していかなければならない課題があります。そして、そのことを祈っていくうちに兄弟姉妹たちのことも祈るように、祈りの中で育てられていくのです。ご一緒に祈りながら、この受難節の時を過ごして参りましょう。