2016年4月10日 塩山宗満
マルコによる福音書 1章1-15節 (新約 61ページ)
「神の子イエス・キリストの福音の初め。(1:1)」
この言葉は、マルコによる福音書の題とも言える言葉です。一番言いたいことを最初に置くのが聖書の書き方です。創世記の第1章を思い出してください。「初めに、神は天地を創造された。(創世記1:1)」と、一番言いたかったことを聖書の最初においています。マルコも、「初め」という言葉から福音書を書き出しています。そして、その福音はまず、悔い改めから始まるのだと言うのです。バプテスマのヨハネが荒野に現れて、「罪の赦しを得させるために悔改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。」のです。
ヨハネは多くの人に罪を自分のこととして分からせ、悔い改めを迫ってバプテスマを授けていました。けれどもバプテスマのヨハネには、それ以上にイエス様を指し示すこと、真の救い主が来られるのを知らせるという大きな役目もありました。そして、イエス様もヨハネからバプテスマを受けられました。罪を犯していないイエス様が「罪の赦しを得させる」悔い改めのバプテスマを受けることはどんな意味があるのでしょうか。マルコにはその理由が示されていません。ただそのことが神の御心にかなったという声が聞こえるだけです。私たちバプテスト教会はイエス様に倣って、バプテスマ、それもイエス様が受けられたような、全身を水に浸す形でバプテスマを行っています。まだバプテスマを受けておられない方には、ぜひバプテスマをお受けになるよう、お勧めします。
これからしばらく礼拝でマルコによる福音書を読んでいきます。福音とは何かをご一緒に確かめましょう。