2016年4月24日 塩山宗満
マルコによる福音書 1章35-39節 (新約 62ページ)
「イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。(1:38-39)」カファルナウムに集まってきた人たちを置いて、イエス様はガリラヤ地方の他の町や村へ行く、と宣言されたのです。これはなぜでしょう。それはカファルナウムの人たちが、イエス様が本当に伝えたかったこと、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言うことを聞く代わりに、癒しとかしるしだけを求めているのをごぞんじだったからなのです。目に見える助けは確かに人々に必要でした。けれどもイエス様は父なる神を信じて歩むという信仰も同時に持ってほしかったのですが、人々はそこから目をそらし、しるしだけを求めたのです。イエス様はそのことを知って、他の町や村へ行かれました。そしてそこで、神の国をのべ伝え続けました。
カファルナウムで、またガリラヤの町や村でイエス様がしたことは何だったでしょう。一つは病を癒し悪霊を追い出すという人々の今問題になっている課題を解決されました。同時に、福音を信じなさい、と言う宣教をされました。イエス様にとって、どちらも大切な事柄でした。わたしたちもこの茂原バプテスト教会で宣教をし続けています。その際に御言葉を語ると同時にわたしたち一人一人が抱えている課題の解決にも祈って挑戦していきたいと願います。この教会がこの六ツ野の地に建てられた意味を考えながら、ご一緒にこの福音宣教の働きを進めていきましょう。