2016年5月8日 塩山宗満
マルコによる福音書 3章1-6節 (新約 65ページ)
安息日はもともと金曜日の夕方から土曜日の日没まででした。キリスト教会は誕生してしばらくしてから礼拝をささげる日を週の最初の日、日曜日にしました。それは、主イエスが十字架にかけられ3日目に復活されたことを記念して、日曜日を主の日、礼拝を守る日としたのです。ですから、礼拝は復活して今も生きておられるイエス・キリストを喜び祝うことなのです。
この礼拝には神からの招きがあります。神に導かれ、呼び出された人たちが集まるのです。また、礼拝の中では罪の赦しと解放がなされます。私たちを縛っているいろんなものから神が解き放ってくださるのです。ですから、私たちは礼拝に出ることによって自由になります。神が良しとされるのですから人がなんと言おうとかまいません。「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。(2:27)」とイエス様が言っておられますが、礼拝とは私たちを縛っているさまざまなものから解放されていく、その時なのです。どうぞ、罪のうちにあると苦しんでいる方はその重荷をイエス様の前において、自由になって礼拝を喜んでください。そして、この礼拝がますます神をあがめ、賛美し、充実したものになるためにいつも考え、検討していきましょう。
この礼拝が自分たちの喜びだけでなく、広がりをもっていくために祈っていただきたいのです。私たちの群れには、いつもイエス様のことは初めて聞くという人たち、外国から来られた人たちもおられることを心からうれしく思います。いろいろな人たちと一緒に礼拝をするのが教会の正しい姿なのです。