2016年6月26日 塩山宗満
マルコによる福音書 5章1-20節
当時のユダヤの人達はある種の病を汚れた霊、悪霊につかれた人と呼んでいたようです。病気になることは罪の結果であり、直るまでは汚れている、と思われていましたし、障害を持った人たちも同じです。徴税人などのある種の職業の人たち、それにユダヤ人以外の人は汚れた存在で、罪人だと言われていました。そこで、イエス様はそのような状況を打ち破り、ゲラサの人を苦しみから解放されました。
心身が病むことは辛く、苦しく、やりきれないことです。けれども、イエス様は私たちをも含めてそのような人々と親しく交わり助けられます。教会もそのような働きができる場です。何故なら、イエス様の言葉で生かされている場だからです。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。(5:19)」とイエス様に言われたこのレギオンに憑かれていた男は、イエス様の伝道団について行くことをあきらめて、イエス様が自分にしてくださったことをその地方の人達に伝える働きをし、この地方の最初の宣教者となった、と福音書は記しています。
神のあわれみを受けた私たちも主にある共同体、この茂原バプテスト教会に集ってイエス様のことを証しています。イエス様に出会った人たちはもう、そのことを周りの人に語らざるを得ません。み言葉それ自体が力を持っていて、広がろうとしますから、私たちはそれに従っていけばよいのです。病気や、障害を乗り越えて、み言葉が広がっていきます。ご一緒にこのイエス様が託された働きに加わっていこうではありませんか。