2016年8月14日 塩山宗満
マルコによる福音書 7章24-30節 (新約 75ページ)
この地方の一人の女性の、娘を助けて戴きたい、と言う願いにイエス様は、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と答えられます。このイエス様の言葉を受け止めたこの女性もユーモアを持った軽妙な受け答えをしているように見えます。「主よ、しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。(28節)」「主よ、ごもっともです。救いがユダヤ人から来るのは分かります。でも家で飼っている子犬だったら、食卓からこぼれ落ちるパンくずをご主人様は喜んで食べさせるでしょう。ですからわたしにもその愛のおこぼれをお与えください、とイエス様にお願いするのです。それを聞いたイエス様はこの女性の答えの中に信仰を認め「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。(29節)」と言って、なすべき業がすでになされたことを教えられます。この女性はイエス様にただひたすら、願い続けていて、この女性はそうせざるを得なかったのです。そのことをイエス様はしっかり信仰と認めておられるのです。
わたしたちはなかなか祈り続けることができません。祈りはじめてもすぐ不安になってしまうし、祈りは聞かれないのだとすぐにあきらめてしまいます。信仰とは、繰り返し祈ること、大胆に願っていく勇気、神が聞いてくださるという希望、今日の聖書は、そのこと語っているのです。わたしたちも、この教会が神のみ心にかなった働きをし、人々に福音を語り続け、また「憩いの場プロジェクト」がしっかりと形になるように祈り続けましょう。