2016年8月21日 塩山宗満
マルコによる福音書 7章31-37節 (新約 75ページ)
「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。(7:32)」
マルコはこのところを書く時に、旧約聖書のイザヤの預言の言葉を思い出していました。それは、「そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。(イザヤ35:5-6)」と記してあります。この世にメシア、救い主が現れた時はこのようなできごとが起きるのだ、イエス様がその救い主なのだ、この書を読む人はそのことをしっかり知っておくべきだ、とマルコはここで語っているのです。
イエス様がこの世に来られたと言うことは、恵みの時が世の終わりを待つことなくもう来ている、と聖書は語ります。そしてイエス様ご自身も、イザヤが預言したメシアであることを明らかに語っておられます。
教会とはどんなところなのでしょう。そこはイザヤの預言の通り、救い主が与えられ、そのイエス様が頭となって、神の恵みが与えられているところです。そこはお互いが理解し合い、支え合うところです。わたしたちの教会は小さな群れですが、いろいろな面を持った人たちが集まっています。わたしたちが神のことばを伝える働きをしていく中で、一人ひとりにふさわしいみ言葉を探し出し、差し出して、みんながイエス様を救い主と信じて受け入れることができるように祈ってゆくところです。どうぞ皆さんもご一緒にその働きに加わってください。神はそれを皆さんに期待しておられます。