2017年1月1日 塩山宗満
サムエル記上 3章1-14節 (旧約 432ページ)
主の声をわたしたちはどのように聞くのでしょうか。サムエル記を読んでいくと、その時代は神の言葉が語られることは少なく、幻もまれな時代だったと記されています。サムエルがどのように主の声を聞いたかを確かめると、サムエルからの努力とか願いとか工夫とかは全くなく、ただ神の方から一方的に呼びかけておられ、サムエルは御声を聞く備えをしていました。これは今も同じで、主の声、神の声はこのサムエルの時のように幻を通して語られることはまれです。
主の声は教会がいつも行っていること、即ち「礼拝に出て神の言葉を聞き、教会学校や聖書を読む会で仲間と一緒に御言葉の中身を確かめ、また静まって聖書を読み祈る中から聞こえてくる」ものなのです。たとえ夢や幻の中で主が語られたと思うようなことがあっても、それがまことに主から出たものかどうかは、聖書を通して、また礼拝を通して検証していかなければなりません。わたしたちは人生のいろいろな場面で道を選ばなければならない時も、聖霊の助けを祈って、選択して、そしてそれが御心にかなっているかいつも確かめ続けることが求められます。
さて、私たちの教会は主の声に聞いてこの9ヶ月間歩んできたでしょうか。来週の執事会では今年度の歩みを振り返ってみる時を持ちます。皆さんもどうぞご自分が、また教会がどのような歩みをしてきたかを確かめてみてください。22日の新年度を考える会でご一緒に振り返ってみましょう。2017年も神の言葉をご一緒にこの教会に集うお一人お一人に、そしてこの地域の神を求めておられる多くの人たちに届ける働きをしていきましょう。