2017年3月12日 塩山宗満
エフェソの信徒への手紙 4章25-32節 (新約 357ページ)
聖霊はわたしたちの内にとどまっていてわたしたちを守り導いてくださる方ですからその聖霊が「贖いの日に対して保証」してくださっているのです。この保証という言葉は元の言葉では「証印」、判子、それも神が押してくださる実印のようなことを言っています。キリストを信じてバプテスマを受けると聖霊によって「証印」が押され、信じた者は神に属するものであって、わたしたちが救われていることの証しになります。贖いの日とは裁きの日とも言われ、世の終わりの日のことで、キリストが栄光をもって再びお出でになる日、即ち神が救いを完成される日のことです。けれども、神の御心は人のすくいにあります。その日に完全に救いに入れられるために、聖霊はわたしたちを守っておられるのです。
そのためにわたしたちに次のことが求められています。「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。(4:31-2)」聖霊を悲しませる悪意を捨てて、互いに赦しあいなさい、という言葉でパウロは4章を締めくくっています。わたしたちはこのことを心に留めて、生活していきたいものです。そして、それはこの教会の中だけにとどまらず、この地域の人たちとのつながりを作っていく中で行っていきたいですね。憩いの場プロジェクトが形になってきたら、そこに何を入れていくか、その後のことを準備していかなければなりません。ご一緒にこの楽しみを形にしていきましょう。